※この記事は、2021年に発行されたパンフレット(にいじゅん芸歴20周年記念委員会 事務局 編集)より転載。
ーー2021年、にいじゅん芸歴20年 歌三線をはじめたきっかけを教えてください。
高校2年次の修学旅行で初めて沖縄へ行き、バスガイドさんが車内で歌われていた沖縄民謡に聴き惚れ、沖縄民謡や琉球古典、文化、歴史、自然、生活習慣に興味を持ちました。修学旅行から帰京した翌日に沖縄民謡のカセットテープを購入し、よく聴いていました。
2001年に、貯めたお金で三線を購入することができました。当時は一日に平均5時間程、稽古に励んでいた記憶があります。当時は「安里屋ゆんた」「芭蕉布」「谷茶前節」「島唄」などをよく歌っていました。
ーー師事されている方はいますか?
はい。中江裕司監督の映画「ホテルハイビスカス」に父親役で出演されていた照屋政雄(以下、政雄先生)が僕の師匠です。
政雄先生は三線の製作者と民謡歌手・古典の師範、漫談家として幅広く活躍されています。政雄先生と僕は師弟関係の間柄であり、僕が沖縄に滞在している間は、朝から晩まで共に行動し、稽古に励んでいました。昭和初期から現在、そしてあの世(グソーぬ世)等、三線の音色にのせて話をされ、沖縄の文化や芸能、言葉の意味や風習等多くのことを教えて頂いています。
そのことから、民謡が生まれた時代背景や現在の世の中のあり方とは異なる点もふまえ、歌の意味や背景を学び、ノートに記録しています。
また実践稽古として、デイサービスセンターで、政雄先生と共演した時は、利用者の受け応えや反応を肌で感じることができました。
演奏後、僕は運転手をつとめ、助手席の政雄先生は三線をかき鳴らして歌われる。いわゆる反省会であり、僕の演奏について、たとえ失敗があっても、それをふまえて良かった点をさらに磨くようにと助言を受けたことがあります。
政雄先生は、「沖縄民謡や古典だけでなく、日本の童謡・民謡、世界各国の歌に触れて、様々な演者から学び得なさい」と話され、教えを受けています。そのことから様々なアーティストやミュージシャン、落語家との出逢いの中で学ぶべきことが多々あり、今の自分があると思っています。
ーー活動は幅広く多方面でご活躍されていますよね。以前は福祉や教育の現場にも在職されていましたね。
うた三線奏者としての活動と並行して、重症心身障がい児施設に勤めていました。重度の知的障がいと、重度の肢体不自由がある方が利用されている施設ですが、ここでも音楽を通じてコミュニケーションを図り、どんなに障がいが重くても、眼球を動かしたり、足先の指でリズムを刻んだり、てんかん発作があっても(両親が側に居て)「こんなにワクワクしている子をみたことがない。」と話され、その場からしばらく去ろうとはされず、演奏を楽しんで頂いた経験があります。音楽で心を通わせることができることを知りました。
僕はうた三線奏者としてのソロ活動だけでなく、にいじゅんJTBandを結成し、ジャンル問わず沖縄音楽、ジャズ、ボサノバ、童謡、歌謡曲などを演奏し、聴いている方の心がワクワクするような演出を心がけていきました。
BANDメンバーは、福祉・医療・教育に関わっている仲間であり、福祉的な環境には十分に適用できます。僕にとって、魅力溢れるメンバー一人ひとりは家族のような存在です。
ーー現在までにおよそ500本以上もの演奏会を公演されていますが、印象に残った演奏会はありますか?
介護福祉士の教師として12年間務めていた頃、多くの福祉の現場や人とのつながりを持つことができました。
その機会から、介護老人福祉施設、養護老人ホーム、救護施設、障がい児者施設、保育園、母子福祉施設、デイサービスセンター、幼稚園、小学校、病院など関西圏だけでなく、他府県でも演奏する機会があり、どの演奏会も皆さんが心から笑顔で過ごされていることを感じることができ、すべて印象深いです。
また2014年には海外からオファーがあり、タイへ伺いました。日本人祭りというイベントで約2万人の観客の大舞台で大城美佐子先生やOKI等と共演しました。
またイベントや結婚式、お葬式にも演奏機会を頂きました。唄は心に響き残りますね。
ーーコロナ禍による影響はどうですか。
正直なところ思うように活動ができず、それでもピンチをチャンスに変えて、出来ることを一つひとつチャレンジしています。三線教室に通うことができない方に、YouTubeを利用して稽古に励んで頂き、感染予防徹底のもと小規模で演奏活動を展開しています。
しかしながら、うた三線奏者としての芸能だけでは生活が成り立たたず、「福祉(教育)の道を選び一本化していくことが良いのではないか」と、友人からも助言を頂きました。何度も自分自身に問い直していく度に、「にいじゅんらしさとは」何かと考えるようになり、芸能と福祉の両立を目指し続けたいと考えました。目の前のことに精一杯尽くしていくことが、僕の人生そのものであり、うた三線奏者((芸能))は僕にとってのアイデンティティそのものであると気付くことができました。
華やかなステージだけでなく、お客さんや利用者さんが輝いてこその演出をしてゆけるよう、このコロナ禍だからこそ、芸を磨いていきたいと思いました。コロナ禍により、目指すべき道と人生で果たしてゆきたい役割がみえました。YouTubeでは、五歳から琉舞をされているKEIKOさんにも出演して頂き、舞踊曲等にもチャレンジしていますので、にいじゅんチャンネルを、ご覧くださいね。
ーーステージで拝見する笑顔は素敵ですよね。何か心がけていますか?
笑顔を心がけたい気持ちでいます。誰しも苦しみや悲しみ、切なさはあり、経験したからこそ、人にも優しく関われると思います。相手の気持ちや痛み、弱みなどを知る機会があり、恐怖や不安、哀しみ、苦しみを乗り越えていくためにも、時間の経過とともに、笑顔や笑いが大切になると感じます。楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい。
深く傷ついた心も、笑いや笑顔が自分の心を支え、陽気にいこうと心がけることだけで、きっと周りの人が手を差し伸べてくれると思います。僕は太陽がカンカンと照り輝くように、心は大きくドカっと構えて、天にまかせるように過ごしていると自然と笑顔が溢れると思います。
琉球國祭り太鼓関西地区長の梅本澄子さんは、誰からみても素晴らしい笑顔の持ち主です。ある時、梅本さんから「私は色んな人と出会ってきましたが、にいじゅんさんの笑顔はほんと素敵です。」とメールが届きました。
僕にとっては梅本さんの笑顔がとても素敵で素晴らしいと思っていたのですが、その彼女から頂いた一通は素直に嬉しかったです。自分自身でも気づいていませんでした。
このことから、僕にとって大切にしている芸能・福祉の2本柱の根底には笑顔(笑い)が存在し、それが生きる活力であり、エネルギー源だと思います。
ーー念願の1stアルバムが発売しましたね。
2019年に初アルバム「ニィフェーデービル!!」が、SMYレコードよりリリースしました。全10曲(税込2750円)で、コロナ禍の前にリリースとなりましたが、CDレコ発ライブは思うように出来ませんでした。
しかし、現在400枚ほど全国に届けることができています。プロデューサーの森扇背さんは、「流行に流されない、長年愛される作品」として評価を頂きました。参加アーティストは総勢16名で、40年間生きてきた感謝の気持ち((ニフェーデービル:ありがとうございます))を込めた傑作です。
是非とも皆さん聴いてください。特に京都慕情は好きな一曲です。JEUGIA三条本店(京都)・沖縄キャンパスレコード(沖縄)等で取り扱っています。(にいじゅん似顔絵は、漫画家いわみせいじ先生の作品です。)
ーー今後の抱負についてお聞かせください。
ラジオ番組に関わりたいと思います。生活(福祉)と音楽を愉快に陽気に発信してできる番組を作りたいです。スポンサーをお待ちしています。また、うた三線奏者として舞台で活動してゆきたいです。2021年11月7日(日)には、にいじゅんSHOW 芸歴20周年記念 ひとり弾き語り会(配信あり)を開催します。
僕にとって、うた三線と福祉・教育のニ本柱として続けられるのは、皆さんの支えや、お声掛け、声援があるからです。それは僕自身の向上心や成長につながっています。
僕自身の二本柱の良さを活かし、成し遂げれることを精一杯取り組み、多くの感動や魅力を発信してゆきたいと思います。皆さんの声援に応え、お一人おひとりを意識し、心通じ合えるような演出を心がけていきたいです。限られた一生と繋がりを大切にし、皆さんにとって笑顔溢れる存在でありたいですね。今後ともご贔屓によろしくお願いします。30周年も目指します。