三線教室を京都ではじめて21年目が経ちました。
多くの生徒さんが通われて、
今でもつながり深く関わらせていただいている方のお一人にAさん(男性)がいました。
Aさんは90歳を超えるご年齢で、
戦前(開戦時の様子、疎開時のことなど)から令和時代までの様々なお話をして、
何よりも人生の最後においてはプライベート三線を希望されて、
令和7年の1月に家族が集まった場所で
歌い奏でたい想いを持っておられました。
僕はそんなAさんの94歳とは思えない意欲的な姿勢を尊敬していまいした。
Aさんが三線とであったのは70歳代後半です。
そのAさんの人生に少しでも関われれたことに感謝しています。
その昔、Aさんが、
Aさんの奥様の危篤状態時にベッドサイドにて
何度も何度も「えんどうの花」を歌われて、
涙を流して表情も穏やかに息を引き取られたエピソードもあります。
Aさんとの出逢い、そしてAさんがこの僕に託してくださった想いを
これからの世代においても紡いでゆきたいと思います。
Aさん、ありがとうございます。
これからも、心の中でぬくぬくと生きています。
そしてこれからも歌い続けます。
にいじゅん
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